ホンダビート 軽自動車

ホンダビートは、1991年5月15日に本田技研工業から発売された2シーターの軽自動車です。(ミッドシップエンジン・リアドライブ・コンバーチブル)ホンダビートのエンジン型式はE07A、ボディ型式はPP1、モノコックオープンボディ、超高回転直列3気筒 SOHC 4バルブ 656cc エンジンを横置きに搭載四輪独立懸架のマクファーソン・ストラット、前13インチ・後14インチの前後異径タイヤ、四輪ソリッド・ディスクブレーキを使用しています。ホンダビートは、同時期にNSXが発売され、搭載方法が同じエンジンを使用していた為に、比較される事もあました。しかし、ホンダビートを開発する部署も違えば、交流も無いメンバーでコンセプトも全く違いました。ホンダビートのルームミラーは、先に発売されて大好評だったNSKの人気にあやかって同じものを取り付けています。ホンダビートは軽自動車では初のエアーバックを取り入れ安全面にも配慮されています。

ホンダビートの歴史

ホンダビートは1991年5月15日にPP1型が発売され、初代は月間目標が3000台でした。1992年2月18日に特別仕様バージョンFが発売され、限定800台限りの販売、同じ年の1992年5月28日には同じく特別仕様バージョンCが発売され、限定500台限りの販売されました。翌年の1993年12月には特別仕様バージョンZを発売しました。発売以来大好評だったホンダビートも1995年には生産中止になりました。ホンダビートはスポーツカーとは名乗らず、運輸局の反感を避けるためミッドシップ・アミューズメントと称していました。当時は平成のABCトリオなどと呼ばれていました。世界のホンダと言われた創業者の本田宗一郎氏が1991年8月に亡くなる際に最後に見送った四輪車がホンダビートです。生産中止から10年以上経った今でもホンダビートの人気は衰えずインターネットのオークションなどで売りに出されている事もあります。

ホンダビート スクーター

ホンダビートは本田技研工業が1983年11月18日に発売したスクーターです。キャッチコピーは、高感度スクーティングと言われていました。ホンダビートは50ccの原付スクーターですが、第一種原付の規制ぎりぎりの7.2psを7000rpmで発生させます。V-TACSというシステムは自動ではなく、足元にあるペダルを踏んで作動させます。世界で始めて水冷サイクルエンジンと2灯式ハロゲンヘッドライトを採用することで国産の他のメーカーを出し抜きました。ホンダビートは半透明カウリング付きボディー、ゴールドホイールエキスパンジョンチャンバー、4連メーターといったように見た目にも他の国産スクーターとは違っていました。そのため、ホンダビートは発売当時の売上は余り伸びませんでした。その時代には個性的な外観が刺激が強すぎたのと、高価格がネックになったのかもしれませんが、今になって他には無い個性が一部のファンの間では熱狂的な人気です。

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